鷂飼育日記

無価値無害なのでとりあえずテキト〜に生きてる

「あいつ絶対ドミノだった」(舞台『関数ドミノ』について)

 

どうも。おはこんばちは。鷂です。私、この度受験も終わりまして、やっと、見に行けなかったあの舞台「関数ドミノ」のDVDを視聴いたしました。それについてつらつら書いていこうと思います。ゆるっとよろしくお願いします。

 

まず、「関数ドミノ」とは
「関数ドミノ」は前川知大が作・演出を手掛けた、イキウメ代表作のひとつです。
2005年初演の後、2009年、2014年と再演し、その度に登場人物や結末が改訂された戯曲は、観客の心を掴んで離さない作品として高い人気を誇っています。(公式HPより引用)

 

と言った具合に代表作として何度も再演されている作品なんですね。観客の心を掴んで離さない、というのはよく分かります。私も掴まれました、そりゃもうガッツリと。

 

そして続いてあらすじ

『とある都市で、奇妙な交通事故が起きる。
信号のない横断歩道を渡る歩行者・田宮尚偉(池岡亮介)のもとに、速度も落とさず車がカーブしてきた。
しかし車は田宮の数センチ手前で、あたかも透明な壁に衝突したかのように大破する。
田宮は無傷、運転手の新田直樹(鈴木裕樹)は軽傷で済むが、助手席に座っていた女性は重傷を負ってしまう。
目撃者は真壁薫(瀬戸康史)と友人の秋山景杜(小島藤子)、左門森魚(柄本時生)の3人。
事後処理を担当する保険調査員・横道赤彦(勝村政信)はこの不可解な事故に手を焼き、関係者を集めて検証を始める。
すると真壁が、ある仮説を立てるのだった。
その調査はやがて、HIV患者・土呂弘光(山田悠介)、作家を目指す学生・平岡泉(八幡みゆき)、真壁の主治医・大野琴葉(千葉雅子)をも巻き込んでいく。
はじめは荒唐無稽なものと思われた仮説だったが、それを裏付けるような不思議な出来事が彼らの周りで起こり始める――。』

 

とまああらすじを最初に読んだ時はぶっちゃけ「は?」という感じでした。何言うてんねんよう分からんわ〜と思ってました。お話もなんだか難しそうだし複雑なのかなあと。しかしですね、いざディスクを読み込んで観てみると思ったよりすっきりとしたストーリーでした。時系列が行ったり来たりする事も少ないですし、何よりキャストがひとつの役で動いているので視覚的に理解しやすかった。以前観た「遠野物語 奇ッ怪 其ノ参(同じくイキウメ)」はキャストがひとり何役もやるので二回目でやっと噛み砕けた感じがあったのです。いや〜関数ドミノ、キャストが豪華でした。私個人のお目当ては勿論主演の「瀬戸康史」さんなのですが、小島藤子さんも凄かった。あとはなんと言っても勝村政信さん。あれはすごい。ビビったマジで。私、舞台で笑いを取れる人間ってすごいなと思うんですよ。台詞の面白さで笑いをとるんじゃなくて、台詞の「間(ま)」で笑いを取れる役者って凄いんです。安井順平さんや山内圭哉さん、このお二人も観劇で拝見したことがありますが素晴らしかった。特に山内圭哉さんはその時関西弁の役でしたから尚更言葉の伸び方とか、そういうのがまあ絶妙で絶妙で。気持ちよかったです。閑話休題

関数ドミノを知ったきっかけは瀬戸康史くんでした。というかそもそも私は映像美至上主義で、舞台にはあまり手を出していなかったのですが、あの頃の私に言いたい。マジでその考えダメだよって。絶対後悔するよって。マーキュリー・ファー見に行っときゃよかったのになお前って言いたいですよ本当に。元々2.5次元が苦手で、舞台というのはみんなそういう感じだと思っていたので(これが大きな間違いでした)、初めて舞台を見に行った時本当に恐れおののきました。会話劇ってすげえなって思いました。だって目の前でお芝居してるんですよ。役者が、同じ空気の中で全身全霊本気のド直球を投げてくるんです。それを受け取らなきゃ!と必死になって食らいつくのが私は楽しかった。超〜疲れますけど楽しい。彼らの声帯の震えが今私の鼓膜を震わせているんだ、目の前で吸われてる煙草の匂いがしてくる、そういう一体感が舞台の醍醐味なんですね。関数ドミノは残念ながらDVD参戦勢なんですけど。

生まれて初めて見に行った舞台は「遠野物語(以下略)」だったのですが、あの時の瀬戸康史さんを私は多分一生忘れられないと思います。だってアレ瀬戸康史じゃなかったんだから。舞台挨拶が終わるまでずっと、アレは見た目こそ瀬戸康史だったけれど中身が違ってた。絶対にササキ(作品内での瀬戸康史演じる青年)だったんです。前々から思ってはいたんですが、瀬戸康史さんは憑依型なんだなと。本当に乗っ取られて取り憑かれたようなお芝居をするんですよ。いつか帰ってこられなくなっちゃうんじゃないかってくらいに。今回の関数ドミノもそれと同じように、瀬戸康史の皮を着た真壁薫がそこにいました。傲慢で利己的で子どもっぽくてすごく可哀想でさみしいひと。普段の瀬戸康史さんの笑顔からは全く想像も出来ないくらいに醜くて可愛くて最低な役でした。

私がこのDVDを見たのは受験の試験が終わって合格発表もいくつか始まったくらいの時期でした。第一志望は見事不合格(補欠の下位)で、なんとなくやるせない気持ちがぐるぐると渦巻いていた時、宅急便からDVDが届いて、大喜びで鑑賞したのを覚えています。あの日、真夜中、私は確かに救われた。聖書を見つけた感覚。追い詰められてどうしようもなくなったあの時、これを見て本当に救われました。人間誰だって逃げ出したり思い込みたくなる時ってあるじゃない…私はそんな時この作品に逃げ込みたい。「生暖かいのに心臓だけが凍ってしまう」っていう感じの世界だなあ、と。関数ドミノ。逃げ込める場所であるのと同時にふとした時に気持ち悪さがあるからここにずっとは居られないって思えてきて、迎え入れてくれて追い出しもしてくれる、私にとってのそんな場所が「関数ドミノ」なんだよなあ、なんて思いました。すごく気持ち悪いんですよ。世界観云々ではなく、出てくる人間の掛け合いが。すごく人間らしくて醜くて、なんだか愛しいんですけど、やっぱり気持ち悪い。不愉快な程の叫び合いや、洗脳でもされてるんじゃないの?って感じの事を、まるで当たり前かのように話す。宗教的なものを感じたんですね、私は。でも本当に、あの恐ろしさに私は救われた。人間の醜さや弱さが無理矢理にでも許されてしまうその世界に私は憧れを抱いたんです、きっと。舞台とか映画とか、もちろんドラマや小説漫画もそうなんですが、人間の手で故意に「人間らしさ」や「リアリティ」を創り出すのは本当に難しいことだと思うんです。だって既にそれは作り物だから。どうやったって現実にはならない。でも関数ドミノはそこが違いました。現実の中に存在する不可視の掴みようのない気持ち悪さが塩素みたいにどんどん蓄積されていく。あまりにも生々しくてリアルなのに、現実でそんなことあるはずない、あれ、でも私こういう経験したことあるかも…ってことはこれ現実なの?ってなってしまうんです。不思議でした。私はとんでもないものに出会ってしまったと思いました。

 

なんでも他人のせいにして、でもその他人もわざとじゃないなら仕方ないよなっていう考え。それってすごく狡くて、優し過ぎると思うんです。結局誰のせいでもない世界。なんて素晴らしくてなんて狡くてなんて歪んでいるんだろうと思いました。そんな世界が存在するなら行きたくて行きたくて仕方がない。でもきっと行ったら行ったで帰ってきたくなってしまう。そんな世界。

 

「仕方ないよなあ、ドミノなんだから。」

 

誰かを憎む理由も、許す理由も「ドミノ」にある。あまりにも単純明快で気持ち悪い。でもそれは絶対に誰かの救いになると思うんです。だって私はそうだったから。逃げたくなったら、この舞台の世界にほんの二時間浸ってみて欲しいんです。ポジティブとかネガティブとか、勇気とか精神力とかそういうものが全部抜け落ちてすごくすっきりするから。どうしようもなくなったら、ひとりで観てみてください。もしかしたら世界が変わるかもしれない。

 

以上、鷂でした。ここまでお付き合いくださってありがとうございました!

 

 

舞台「関数ドミノ」DVD

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